原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

20140811-2 独白又は毒吐く(加筆修正)

 私は生来のへそ曲りです。ですから、これから書く事は、偏屈青年が世の中を斜に構えている管見と思って頂ければ幸いです。
 

 私は旭日新聞がスポークスマンを務めている国の事が大大大嫌いです・・・。だけど、飲んだ時以外に大声では言えませんね(笑)。
 呑み屋さんでは色々と差別用語を連発する私ですが、普段は良識と思慮を混ぜながら言葉を選んでいます。しかし、善悪は別にしても、酒を飲んで居ても言葉一つ選ばなければいけない、不自由な社会に成って来て居るなぁ~・・・っと思う次第です。
 
 仮に差別用語この世から全て抹消したとしても、差別自体は心の有り様ですから絶対に消える事は無いでしょう。少ない人生経験を照らし合わせながら考えると・・・、差別とは集団の均一性を保つ際に、相容れないモノを排除しようとする心理じゃないかと思うからです。
 
 天才が最初から社会に受け入れられる事が少ないのは、社会の平均から飛び抜けて仕舞い、異質に見えるからではないでしょうか??飛び抜けた天才と云うのも一種の異端と成ってしまうのでしょう。
 生命は異端を許さない、絶えず集団を均質化しようとする淘汰圧が掛って居るそうです。天才とは云わなくても、IQの高い者同士で結婚しても、3代目には平均的なIQに成ってしまう事が多いそうです。
 
 差別は良くない・・・っと教育して、少なくとも面と向かって表に出す事は恥ずかしい行為・・・っと思わせる事は出来るでしょう。だけど、初めに言葉ありきの世界では有りますが、言葉より前の問題ですから・・・、差別の根治も根絶も絶対に無理だと思います。
 
 もっとも差別廃止論者の中には、旭日新聞の様に差別が有ると云って商売する方も多い様ですから、実際に無くなった時に彼らがどういう対応するのか、チョッと興味深いですね(笑)。
 きっと新しい差別と云う概念を考え出すんだろうなぁ~、差別を忘れる事が差別ですっとかね。浜の真砂は尽きるとも、世に差別の種は尽き無しですからね。
 
 因みに私が馴染みの飲み屋で生み出した『HKB』と云う差別用語が有ります。無礼な年配の女性を罵る言葉です。意味を知ったら世の女性はさぞかし憤慨する事だろうなぁ~。此ればかりは仲間内以外では秘中の秘です(笑)。