幸福の条件
昨晩ニュースステーションで紹介されて居た会社です。考えさせられる事が多かったので、UPしてみました。
専務をしていた大山泰弘さん(現社長)は悩みに悩んだ。雇うのであれば、一生幸せにしてやらねばならないが、当時十数人の会社では、まったく自信がなかった。
「うちでは無理です」と断ったのだが、その先生は2度、3度とやって来て、頼み込む。3回目には、大山さんをこれ以上悩ませるのに堪えられなくなって、こんな申し出をした。
「うちでは無理です」と断ったのだが、その先生は2度、3度とやって来て、頼み込む。3回目には、大山さんをこれ以上悩ませるのに堪えられなくなって、こんな申し出をした。
大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?
そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです。
そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです。
そこまで言って頭を下げる先生の姿に、大山さんは心を打たれて「一週間だけ」という約束で、二人の少女に就業体験をさせてあげることにした。
就業体験の話が決まると、子どもたちだけでなく、先生方や親も大喜びした。朝は8時始まりなのに、7時には会社に来た。
それもお父さん、お母さん、さらには心配のあまり先生までが付き添ってきた。夕方3時頃になると、親御さんたちが「何か迷惑をかけていないか」と、遠くから見守っていた。
それもお父さん、お母さん、さらには心配のあまり先生までが付き添ってきた。夕方3時頃になると、親御さんたちが「何か迷惑をかけていないか」と、遠くから見守っていた。
約束の一週間の就業体験が終わる前日、十数人の社員全員が「お話があります」と大山さんを取り囲んだ。
あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してください。
もし、あの子たちに出来ないことがあるなら、私たちみんなでカバーします。どうか採用してあげてください。
もし、あの子たちに出来ないことがあるなら、私たちみんなでカバーします。どうか採用してあげてください。
これが、社員みなの総意だという。それほどに二人の少女の一生懸命の働きぶりは、みなの心を動かしたのである。
簡単なラベル貼りの仕事だったが、二人は仕事に没頭して、「もう、お昼休みだよ」「もう今日は終わりだよ」と背中を叩かれるまで、気がつかないほどだった。
簡単なラベル貼りの仕事だったが、二人は仕事に没頭して、「もう、お昼休みだよ」「もう今日は終わりだよ」と背中を叩かれるまで、気がつかないほどだった。
ほんとうに幸せそうな顔をして、仕事に打ち込んでいたのである。
社員みなの気持ちに応えて、大山さんは二人の少女を正社員として採用した。それ以来、障害者を少しずつ採用していったが、大山さんには一つだけ分からないことがあった。
それは彼らがミスをした時などに、「施設に帰すよ」と言うと、泣きながらいやがる事だった。どう考えても、会社で毎日働くより、施設でのんびり暮らしていた方が幸せなのではないか。
ある時、法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんに、この点を尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
そんなことは当たり前でしょう。幸福とは・・・
です。そのうちの(2)人に賞められること、(3)人の役に立つこと、(4)人に必要とされること、は施設では得られないでしょう。この三つの幸福は、働くことによって得られるのです。
こう聞いて、大山さんは、目から鱗(うろこ)が落ちるような気がした。「人間にとって『生きる』とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」と気づいた。
それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。企業の存在価値であり社会的使命なのではないか。
これ以来、50年間、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けてきた。
お恥ずかしい話ながら・・・私は此処まで考えて仕事をして居ません。。日々、目先の溜って居る仕事を如何に流していくか・・・それだけです。
『自分でも何かのお役に立つのだ。このことは喜びである。この喜びは自分の一生が無意味でないことを示している。このことを幸福に感じるのである』
武者小路 実篤