原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

今日は真面目な話、、人ってなに??

 いつもは砕けた話ばかり書いて居る私ですが、、偶には『出来るんだぞ!!』っと云う事をアピールするべく、、小難しい話題にしてみました。

 人とは何か??生物学的に言えば、、ホモ・サピエンス・サピエンスと云う大型のサルの一種に過ぎません。そしてその使命は、、、自分の遺伝子をより多く残すこと、、。他の生物と寸毫の違いも有りません。

 昔から万物の霊長とか、、人と獣を分かつのは道具を作り出しそれを使う事、或いは言葉と思考を持つ、、等と考えられています。

 しかし、、へそ曲りな私が思いますに、、万物の霊長かどうかさておき、、後に上げた境界線っと思われて居た事は、、実は特に珍しい事では無かったのです。

 何故ならば、膨大な観察結果と考察から、、チンパンジーは自分で道具を作り出し、、なおかつ言葉を理解し自分で考える事が確認されているからです。

 ではでは、、獣と人を分かつルビコン川は何所に流れて居るのでしょうか??

 人間は生物的にはだいぶ劣った生物ではないでしょうか??他の動物に比べても、、すべての能力が中途半端で、、その突出した能力を使ってニッチを獲得する生物では有り有りません。

 人と云う種は、、自ら自然界との連鎖を分つ事によって生存権を獲得する、、地球史の中でも前例の無い生物だからです。

 簡単に言うと、狩猟採取という生活スタイルから農耕と云う新しい生活スタイルへ移行しました。なぜそんな事が可能だったのか??っと云えば、、程々の能力しか持ち合わせて居なかったからです。

 ある種の能力に特化してしまうと、、その環境が変わった時に対応する事が出来ずに滅んでしまいます。多くの絶滅劇はその繰り返しです。まぁ、、人もいつかは滅びゆく運命に有るのは間違い無いですが、、。

 では農耕をしていれば、、人間かと云えばさに有らず、、。今でも狩猟採取で生活して居る部族は多いし、、そういう人達と、、横浜に住む私のDNAは0.001%も違っては居ません。

 こう云う事を考え出すと、、堂々巡りの哲学論に発展してしまうのが常ですが、、それでは結論が導け無いので、、困ってしましいますね。

 道具も言葉も思考する事ですら特別で無いとしたら、、いったいどんなルビコン川が流れて居るのか、、。僕は意外と簡単な事が答えだと思います。

 すなわち、、自省する事を知って居るからこそ人間なのだと・・・。自ら考え行動し、コミュニケーションを取る。此れだけならば、、オオカミですらやって居る事ですが、、ただ1点、、獣は自省する事を知らないのです。

 人間を人間らしく装飾している哲学や倫理、文明はすべてこの自省という思考の一形態が出来るかどうかに掛かって居ると思います。

 動物は失敗から学びますが、、それは経験の積み重ねで有って、自省からでは有りません。

 その点人間は失敗からちっとも学ばない不可思議な生物です。しかも突出した能力も無く中庸な存在です、、しかしであるが故に自らを省みて次を生み出す事が出来るのです。

 なんだか倫理か哲学の時間の様に成ってしましましたが、、『人とは自省する生物』っと云うのが私の考えです。

 だ・か・ら・・渋谷や原宿をほっつき歩く若者が奇異に見えて仕方が無いのだと、、思います。。だってお猿さんが洋服を着て歩いて居るのだから。。。

 あぁ~、、難しい事を書き過ぎた、、今日は晴れて居るし、、これからノーメンの取材にでも行ってこようかな(笑)