原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

美を感じると云う事。

 『美』と心が感じた事に、理由は要らないし説明も本来は不要だと私は考えます。心を表現するには言葉はあまりにも足りない。
 心の言葉を人語に変換する際に、感じ取っていた様々な陰影はこそぎ落されてしまい、結果として不完全で的外れで冗長に成らざるを得ないからです。
 
 『美』を感じると云う事は、瞬間の刹那で有って理由・理屈は後付けなのだと思う。例えば、料理を一口食べて、その瞬間美味しいと感じる事が有るでしょう。美味しいと感じた瞬間の次に、その美味しい理由の分析が来る訳であって・・・理由や理屈はけっして先には来ないものです。
 
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 『初めに言葉ありき』とは聖書の一節ですが、言葉が有ればこそ、心が有る・・・っと表現できます。逆に表現すれば、言葉が無ければ心もまた無い・・・っと成ります。ですが、これは間違いだと云う事を私たちは経験的に知って居ます。
 
 『美』とは何かと問われれば、心の鏡だと私は思う。美しい物を美しいと思えるのは、心がそう感じるからであって・・・言葉で無理に表現できない。おまけに基準は人によって千差万別で、法則的基準と云うものすら無い。だからこそ、、美を感じると云う事は、自らの心を映し出す結果に成るのだと・・・私は思います。