原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

礼儀やモラルは何時出来上がる??そしていつ気が付く??

 礼儀やモラルはいつ本人の中に出来上がるか??私は大体、、中学校から高校時代にかけて骨子が出来上がると思います。
 後は大学生、社会人と進むうちに、、骨子に肉付けされて・・・人がましい、、一廉の人物に成って行くのではないでしょうか??これは私の勝手な思い込みなので、、大学で倫理学や社会行動論、文化人類学を専攻した訳でないので、、ただ漠然と私がそう感じているだけです。
 ただ思うに中学から高校時代にかけて、両親や先生、、書物から薫陶を受けて居たように思います。

 今年で私自身31歳に成りますが、、大体高校生時代の価値基準から飛躍して居ない様に思います。そこから考えると、センター街を闊歩して居る思春期の連中は、もはや救い様の無い大人になる道しか残されて居ないのでしょうか・・・。。

 私は中学校は地元、高校は私学に通いました。中学校時代の私は所謂問題児でした。もっとも学校の窓ガラスを割ったり、人を殴ったり可笑しな格好をして人を威圧したり、、そんな事は終ぞした事が有りません。
 ではどう云う問題児かと云えば、、先生を馬鹿にして居た事です。中学受験に失敗してしまった私は、、中学に入ってみると所謂秀才の部類に属する事が解りました。そのため、、学校の授業がすごく詰らなく思えたのです。
 私の通った小・中学校は市内でも指折りの田舎者中学校で、、地場の方(今は全然違いますが・・)の多いい学校でした。両親の世代はみな家業を継いだり、、等々で子供にスパルタ式で勉強をさせる家庭が少なかった様に思います。
 その所為でしょうが・・・私程度の者でも秀才と呼ばれるように成ってしまったのですから。だから一部の勉強の出来る連中とは仲良くなりましたが、、下層の人達とは終ぞ打ち解けずに中学校を卒業しました。
 中学校では結局のところ、、『先生は青臭い事ばかり言う偽善者である』『知って居る人の前ではお行儀良くすると処世が楽である』という教訓を得る事が出来ました。

 高校に入ると、、当然ですが受験と云う障壁を潜り抜けて居る為、、大体周りは同じようなレベルの人に成りました。
 先ず此処で自分が秀才であるという慢心が無くなりました。当然ですよね、、同じレベルの人が入って来て居るのですら。。
 次に先生方は容赦無い現実を突きつけます、、成績が足りない奴は大学に進めない。その他諸々もう青臭い事は言いません、、実に人間臭い、現実を教えてくれました。
 また中学時代に虐めが有りました。僕は加担もしなければ、助けもしません。内心は虐める奴らの事を苦々しく思っていました。でも何もしません、友人でも無いし、火の粉も落ちて来ません。それが私の処世術ですから。
 しかし進学すると、、虐め自体が無くなりました。何故か??そんな低能な事をする様な奴が居なくなったからです。もっと言えば損得勘定の損が増えるだけだという共通認識が有ったからだと思います。

 またマナーや礼儀も容赦無く叩き込まれました。ふざけた真似をして職員室から青痣を作って帰ってくる友人もおりました。また丸刈りにされて体育教官室から帰ってくる奴も居ました。
 大体において、校則も指導も緩やかでしたが一旦事を起こすと無期停学や退学、、厳しい処分が待って居たので・・・自然と内においても外においても規範を守る様な感じになりました。

 翻って考えてみると、、本人の素質も重要ですが、口喧しく注意してくれる人が思春期に周りに居た事が人格形成に大いに寄与して居ると思います。後は、、やはり環境です。『孟母三遷』と云う故事が有りますが、、やはりどう云う環境で育つかと云う事も重要になってくると思います。

 そういう目で渋谷のセンター街を賑わす若者達を見ると、、彼らは見た目の華やかさと違うのだと解ります。すなわち本人たちは決して気付かないけど『Les Miserables』なのでしょう。
 そして5年もすれば余程の馬鹿で無い限り気が付くでしょう。そして気が付いた時には、、社会の所為だと声高に叫ぶ。。叫んでも状況は全く改善しないのだから・・・。

 彼らが早く周りの良い意見に耳を傾ける様になる事を祈るばかりです。