原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

名曲喫茶 その12 酔い覚めの水、千両と値が決まり♪


 ヘンリク・シェリングポーランド(後にメキシコ)の偉大なヴァイオリニストです。超技巧派なのに技巧に溺れる事無く、曲の解釈もしっかりして居ます。
 過度に技巧的でも無く、過度に抒情的でも無く・・・丁度良い、、とてもバランスの良いヴァイオリニストです。水の様に透明で・・・無味無臭なのに・・・甘露の様に味わい深い、、。
 不敬な言い方かも知れないけど・・・酔い覚めの水の美味さ♪♪♪そんな演奏家だと思います。

 何と云うか・・・第2次世界大戦を経験して居る演奏家と、そうでない演奏家には何か大きな隔たりが有る様に感じるのは私だけでしょうか??上手な演奏家は多いのに、、心を打つ演奏家が何と少ない事か・・・。。

バッハ解釈について

 ところで、バッハの作品を解釈するとき、私は、決して極端に走らないようにしていることを申し上げたいのです。
 今日では、ヴァイオリンの弦の糸は200年前より太くなっていますし、コンサートホールもずっと大きいものになっています。また、録音とかレコードの点から、マイクロフォンからの技術的な要求も多くなっています。

 しかし、また、私は、バッハを次のように演奏することだけは避けたいと思っています。つまり、音符に忠実に演奏することは当然としても、これをまるで百科事典のように演奏すること。これは絶対にしてはならないことです。それはバッハの天才に対して、正しく奉仕することにはなりません。

 なぜなら、百科事典のようなものは、知識とインフォメーションのもとにはなっても、生きて動いてはいないのです。バッハの音楽は、本当に生きて、息づいて、躍動しているものなのです。
 だからバッハの原典に対しては、その尊重と、これら色々の事柄が調和のとれた結婚をしていなくてはなりません。
 これは本当に大切なことです。テキストは絶対に尊重しなくてはなりません。しかし同時に、バッハの時代の生活や習慣や意味を正しく見出し、それに近づくことも必要です。

 テキストの完全度と解釈する人々との個性とが、ほどよく調和のとれた結婚をしていなくてはなりません。この調和のとれた結婚という意味は、この二つの個性、バッハと演奏者とがぶつかり合うということではありません。
 演奏者はバッハの前にまず頭を下げるべきです。バッハの作ったものの美しさと偉大さとに演奏者の個性が加わること、と言えば良いでしょうか。

 バッハの作品は、全てを持っている完全な建築物であり、また彼の作品は、その全てが本当の意味で、この世における創造物だといえるでしょう。


ヘンリク・シェリング:バッハ ヴァイオリン・ソナタとパルティータより