原始物狂の実践哲学!?

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日本面白事件簿

愛のコリーダ』摘発事件

 1976年(昭和51年)1月、阿部定事件を元に製作された映画『愛のコリーダ』のスチール写真や脚本をまとめた単行本の著者の大島渚監督と出版元の三一書房社長の竹村一がわいせつ文書販売罪に問われた。
 検察側は映画の方を摘発しようとしたが、それができなかったために本を検挙したらしい。被告は血の気の多い大島渚に、反権力を掲げる竹村一。それに文化人500人が応援した。

 公判では卑猥な言葉が飛び出し、裁判そのものがわいせつ罪に抵触するのではないかといった様相を呈していたが、初公判から白熱した展開を見せた。
 竹村社長が「この写真を見て君たちのチンポが勃ったというのか。これでおっ勃たんなら異常だというのか。その歳で性的興奮するほうが異常だ。権力をかざす前に肉体鑑定してもらったらどうだ」と息巻いた。
 これに対し、検察も「裁判長! 被告の言葉は検察官を侮辱するもの」と負けてはいなかった。最後になって傍聴席から評論家の竹中労が拍手をすると、裁判長が退廷を命じた。それに対し、竹中は「なぜいけないのか?」「バカ!」と言ってしまったため、結局、3万円の罰金を科せられた。その後も文化人や有名人が被告側証人として出廷し、わいせつや表現の自由について主張した。
 教科書裁判で知られる家永三郎は、カタブツ人間だった軍人の父親がもっていたという秘戯画、春画の2点を見せ、「スチール写真やシナリオを本にして出版したとしてもそれを問題にする方がおかしい」と主張した。法廷で証人がポルノ画を広げて見せたのは裁判所始まって以来のことだった。

 被告側はさかんに「わいせつとは何か」「わいせつでなぜいけないのか」と検察側に詰め寄ったが、検察側は「いたずらに性欲を興奮または刺激せしめ・・・・・・」という1958年(昭和33年)の最高裁の定義を繰り返すだけだった。証人に立った警視庁保安一課の警部補は「私がわいせつだ、と思ったらわいせつだ」と開き直ってしまった。1979年(昭和54年)10月19日、東京地裁は「わいせつの基準は社会通念の変遷によって変わる」として無罪を言い渡した。東京地検が控訴。1982年(昭和57年)6月8日、東京高裁で控訴が棄却され無罪となった。

 この裁判の特徴は「チャタレー裁判」(1950年起訴、最高裁でイギリスの作家・D・H・ロレンスの長編小説『チャタレー夫人の恋人』の翻訳者の伊藤整に罰金10万円、出版会社の小山書店の小山久二郎社長に罰金25万円の判決が下り確定)や「サド裁判」(『悪徳の栄え』事件/1961年に起訴、最高裁で抄訳した澁澤龍彦に罰金7万円、出版した現代思潮社石井恭二社長に罰金10万円の判決下り確定)と異なり、

(1)映画の脚本とスチール写真が起訴されたこと、
(2)現存する日本人の原作が起訴されたこと、
(3)被告側が文学・芸術作品だから無罪であると主張したのではなく、「わいせつ、なぜ悪い」と
    して、わいせつそのものの根源までさかのぼってその本質を究明しようと、法廷闘争を展開し
    たことにあった。
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 阿部定事件は・・・有名な事件なので、、今更私が書く事は無いですが・・・それをモチーフにした『愛のコリーダ』とその裁判(笑)。。
 今なら全く問題に成らないでしょうが、、30年前と云うのはやっぱりお堅い世代なんですねぇ~(笑)。。しかし、、裁判で本当にこんな事を言ったのか、、そちらの方が笑えますが、、皆さんは如何ですか??
 当時の検察官が『氷の微笑』とか『失楽園』を見たら、、どんな風に思うのかな、、とーーーーーーっても猥褻で見るに堪えないって事に成るのでしょうか??
 
 しかし、、「私がわいせつだ、と思ったらわいせつだ」って言うのは笑わしてくれます。。私が同じ立場だったら・・・裁判なんて起きなかったのにね(笑)