原始物狂の実践哲学!?

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『ワシントンと桜の木』についての考察

 『ジョージ・ワシントンと桜の木』の話は大抵の方が、、知っていると思います。

イメージ 1 ある日ジョージ少年は、父親が大切に育てていた桜の木を切ってしまいました。父親に問い詰められたジョージ少年は、素直に「自分がやりました」と白状して謝ったのです。それを聞いて父親は、息子を叱らずに、「お前の正直な言葉は千本の桜の木よりも価値がある」と言って、逆にジョージ少年を褒めたということです。
                                     正直こそ美徳成り!!っという訓話とワシントンの人となりを説明する為の優れた『お話』だと思いますが、、臍曲りな私の解釈は少々違っております。
 まず、、普通に考えて、、父親の大事にしている物を壊したら、、正直に告白しても、、叱られるでしょう。。私なら、、必ず叱ります。
                                     しかし、、『パパ』ワシントンは叱らずに、逆に正直を褒めた。つまり子供が正直に告白してもそれを許し、逆に正直だと褒める父親の度量と教育方針が立派で有ったと。
                                     随分と穿った見方ですが、、自分の過去の経験と照らし合わせて、、たとえ学校の先生でも、正直に告白して『正直者である』っと褒められた記憶は有りません。
 それよりもしらを切り通して、、有耶無耶にしてしまった方が、、存外得な事の方が多い、、っと云うのは子供の浅知恵と呼ぶには、、少々抵抗が有るのは私だけでしょうか??

 もちろん正直は間違い無く美徳ですが、、使い分ける必要のある道徳でしょう(笑)。。万人が正直や真実を貴ぶとは限りませんからね。
 嘘も方便っと云う言葉有りますが、、『方便』とは悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことだそうですから、、ね。

イメージ 2 最後にイソップの童話に、、『うさぎとカメ』っという示唆に富んだお話が有ります。
                                     ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
                                     これもよくよく考えれば、、スポーツマンシップ何ぞ関係無い!!ですねぇ~(笑)もっとこの時代の徳目にスポーツマンシップとか正々堂々っという項目が有ったかどうか定かでは無いですがね(笑)
                                     カメが紳士ならば、、きっと寝ているウサギを起こしたでしょう。そして負けても、、『栄光ある負け』を選ぶ事でしょう。相手のミスはとことん利用するべきだ、、っとうお話だと解釈するのは、、ヨーロッパ流の弱肉強食でしょうか??ね??

 まぁ、、穿った見方をすれば、、どんな話でも虚栄や自己満足、なんていう徳目から外れた教訓を導き出す事が出来ますが、、ね。
 教育とはそういったへそ曲り・穿った見方をしないようにするのが、、本当の道徳教育ではないでしょうか??何も、、訓話を聞かせるだけが、、道徳ではないと思いますけどね。