原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所

 今日たまたまランダムブログで、、アウシュビッツの見学の話をUPされている方がいらっしゃいました。。そんな訳で、、触発されて、、私も少し管見を書いて見ようかと。。

イメージ 1 アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所ポーランド南部オシフィエンチム市郊外に作られた、強制収容所群の事を指すそうです。
 基幹収容所、ビルケナウ収容所、モノビッツ収容所の3つの収容所から成る、、戦争遂行の為の強制労働とそれに適さない人達を処分する為の施設です。
 我々が思っている、、ただ単に絶滅遂行の為だけの施設では無かった様です。もっとも亡くなった方々や、過酷な労働に駆り立てられた方々にとっては何の違いにも成らないでしょうがね。
 思想的偏見と、たった一人の命令によりある日、突然に日常から切り離されてしまう。。

イメージ 2 そこでどんなおぞましい事が行われて居たか、何が有ったのか、、。そんな事は今更ながらわざわざUPしなくても、、皆さん十分にご存知の事でしょうから、、わざわざ書く事は差し控えます。
 ただ、、私の知る限りでは、、その目的と従事じていた人々の機械的な思考と冷酷さに、寒気を覚えます。国民性なのか、、狂気が伝染したのか、、判断しかねますがね。
 人類の歴史の中で、、もっとも無慈悲におぞましい事の1つだも思います。それでも、、戦後日本でも問題に成りましたが、『命令した方も命令を実行した方も同じ罪がある』っと云う考え方だけには納得が出来ないですがね。

イメージ 3
 軍隊とか独裁国家、或いは会社でも・・どんなに狂った命令だろうと、、確実に遂行される事を求められます。
 そして、そういう組織では自分自身に代わって上位者が考え・判断する訳で、、命令される側は自分の良心とか理性を命令者に預けている訳です。
 それを考えると、軽々に処罰を加えるのはどうかとは、、思いますけどね。もちろん、罪が無いとは言いませんがね。
 裁く方も批判する方も、、同じ立場に居たならば、、同じ事をさせられた、或いは判断したかも知れないという事を、、忘れないで欲しいですね。人はなによりも自分が一番大事で可愛いんですから!!生物の基本理念ですよ、、保身は(笑)
 軍隊・独裁国家ならば、、抗命はすなわち抗命罪という犯罪に成り、、軍法会議に掛けられるべき罪状。
 業務命令に逆らえば、、左遷・降格・馘首(すなわちクビ)という運命が待っている、、っと思っているのは私だけでしょうか??たまに、、逆らい続けて出世する人も居ますけれどね(笑)

 まぁ、、そんな冗談はさておき、、アウシュビッツは様々な教訓や意識の変化を我々にもたらしましたが、、最後に、、この地獄を生延びた人々を分析した結果が有りましたの、、ちょっとUPしておきます。
 第2次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュビッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。

 その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。

第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。
 アウシュビッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。
 鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。
 戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

     佐久間章行著「人類の滅亡と文明の崩壊の回避(丸善プラネット)」p218-219からの引用
 結局人はどんな時でも人らしく『人の心を忘れない者』だけが、、すべての苦難に打ち勝てるっとは、、やはり不変の真理だった様ですね。。。