原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

名曲喫茶 その61 嫌いだけど実力を認めます


シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)

○ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 作品75(Violin Sonata No.1 in D Minor Op.75)

○第4楽章:Allegro molto

Violin:ヤッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetzas)
Piano :エマニュエル・ベイ(Emanuel Bay)

イメージ 1
 ハイフェッツサン=サーンス、、どう考えても相容れないと思っていたのですが・・・改めて、、その確信をより強固にしてくれる演奏です。
 
 今更・・・ハイフェッツの技量を云々するのは野暮っと云う気もしますがね。凄いよ・・・本当にこのヴァイオリニストは、、本当に惚れ惚れとする『腕前』です。。
 このサン=サーンスの演奏を聴いて居ても、、実に小気味よく粋に、、そして・・・どんなに良く耳を澄まして居ても、、完璧、正に完璧、逆にピアノが今一つなのが際立って居ます。
 
 どんな演奏を聴いても全くぶれない・・・機械が弾いてるんじゃないかと思う位に自分の奏法に忠実に弾いて居ますね。。
 それがピタリと嵌る作品とそうでない、、例えばモーツァルトなんかは全くエゴイスティックで到底モーツァルトの精神とかを理解しているとは思いません。。
 
 ハイフェッツと云う音楽家は芸術家としては、、ギリシャ彫刻を思わせる冷たさと大きな自信と自負を持った人だったのでは無かろうか・・・そう思えて仕方が有りません。。
 彼の演奏の『凄さ』と『つまらなさ』は・・・彼の卓越した技量のなせる技がそうさせるのだと思います。

 エルマンやシゲティ、ティボーの演奏が持て囃されて居た時代の演奏家の技量を考えれば・・・、、超絶的な演奏技巧だったでしょう。しかし、、今となってハイフェッツレベルの演奏をするヴァイオリニストも、さして珍しく無い時代に成ってしまいました。。

 但し、、彼同様に難曲を楽々と弾けても・・・小粋に弾ける演奏家は、、まだ散見も出来ないのは・・・何故なんでしょうね???



名人芸は予備条件であらねばなりません。が、しかし、けっして支配的なものであってはなりません。

ヴォルフガング・シュナイダーハン