原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

名曲喫茶 その41 カラヤンの清華

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グスターヴ・ホルスト(Gustav Holst)

組曲《惑星》作品32(The Planets,Op.32)より

木星-快楽をもたらすもの(Jupiter, the Bringer of Jollity)
Allegro giocoso - Andante maestoso - Tempo I - Maestoso - Lento maestoso - Presto

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(Berliner Philharmoniker)

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 究極のええ格好しいの指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン。チョッと音楽の解った人や解ったフリをする人は、、彼に対して否定的な評価を下す事が多い様な気がします。
 
 曰く、音楽が大衆に媚びて居る、精神性の欠片も無い等、、芸術家としてはとても辛辣な評価です。でも私の耳には心地良く響きますが如何なもでしょうか??
 フルトヴェングラークナッパーツブッシュと比べれば・・・確かに物足りないような気もします。
 
 しかし・・・芸術家にはそれぞれの持ち味が有って、、決して万能選手では無いという事を聴き手側が理解して居ない様な気もします。
 情念渦巻く作品例えばマーラーとかブルックナーは相性が悪かった様に思います。またモーツァルトも得意で有ったとは言えないと思います。
 
 ただ、、カラヤンのレコードを聴き返して見ると、良く作品が纏め上げられて居て外れが無い。おまけに、、大衆に媚びて居るっと一部評論家に酷評されますが、音が完璧なので耳にとても易く入って来ます。

 1955年、フルトヴェングラーの急逝を受けてベルリン・フィルを委ねられて居なければ、、今日のクラッシク音楽の隆盛は決して無かったと思います。

 一部の通にしか解らない芸術と云うのは所詮滅びるしかありません。カラヤンがクラッシク音楽界に新風を吹き込んだからこそ、フルトヴェングラーの精神世界の良さも再確認出来るし、カルロス・クライバーの様な不世出の天才音楽家も活動の地歩を得たのだと思います。

 芸術家と職人は似て非なる者ですが、職人仕事も身命削って昇華すれば即ち美、、カラヤンは天才音楽職人だったのだと思います。職人仕事を美術品とみるか芸術作品と見るか・・・評価が分かれるのはこう云うと事では無かろうかと思います。