原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

純血の価値について考える。。

 犬や猫を買うときに、、よく血統書付きと云う言葉を耳にする。生物学的には無価値でも、商業的に一つの品種を作り出す場合、その血統が重要に成って来ます。

 早い話が、シベリアンハスキーやアビシニアンといった価値ある品種を育成する場合、雑多な血、、非系統の血を混ぜる事をしないと云う事です。
 つまりその品種の遺伝的純度すなわち純血を維持する事が、価値ある品種を作り出す要諦と云う訳です。

 さて、、此処で問題になってくるのが、高校時代に勉強した遺伝の法則です。狭い範囲での交配を繰り返すと、遺伝的な疾患を発生する度合いが急速に高まると云う事です。
 たとえなゴールデン・レトリバー股関節形成不全てんかんアレルギーっといた遺伝的疾患を持つものが多い。またイングリッシュ・ブルドッグには心臓呼吸器系の障害が多い。

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 限られた中で、つまり遺伝的に近いもの同士が交配を続けてくと、弱い個体が多くなって…何かの切欠であっという間に滅んでしまう。。
 これは絶滅危惧種とされている生物に往々にして有る事なのですが、100,000頭居た個体が100頭に減って、、これじゃあイカンと云う訳で保護して繁殖させる。

 たとえ繁殖が上手く行っても、10,000頭に増えても99,900頭が持っていた様々な遺伝的な特性は消えてしまって居る事に代わりは有りません。
 その為、本来ならば様々な事態に対応するための遺伝子の可能性が大幅に減少してしてしまい、絶えず絶滅の危惧が付きまとう…ボトムネックと云うやつです。

 こう云ったの物の好例がチーターです。現在アフリカに居るチーターの殆どが、、氷河期を生き延びたたった1組の夫婦から枝分かれしている様なのです。その為、人為的な手が加わらなくても…ライオンと比べると圧倒的に絶滅が危惧される状態に成ってしまうわけです。

 遺伝的多様性を保つという事は即ち無作為繁殖が最も好ましいのですが、、色々な人間の価値観が入り込んで、、結局は純血・血統を重んじると云う事に成っています。

 生物学的に無価値でも純血や血統の価値と云う物は、、人間には利を生みだす不思議な価値観のなのかも知れないですね。。せめて節度ある交配を心がけて貰いたいものです。被害者はいつも声なき弱者なのですから・・・。。