原始物狂の実践哲学!?

自分の好きな事、音楽と食べ歩きの記事が中心です。

やっぱり逆が大正解

 昨日Uした記事に自分自身が納得できなくて、、色々と調べてみました。。
 そうしたら・・・ビアオニさんゴメン、逆だったよ♪♪♪妻が夫を労って、夫が妻を慕うが正解でした!!!!

先ずは聴いて見て下さい!!


 あーー良かった良かった!!

因みこれは『壺坂霊験記』というお話、浪花節のさわりの部分でした!!本筋を書くと…。
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 壺坂寺の近くに住む沢市は、幼い頃に疱瘡で視力を失い、琴や三味線を弾きながら、妻お里の賃仕事を頼りに細々と暮らしていました。
 沢市は、自分は目が見えないけれど、美しいと聞いているお里が、ここ3年毎晩決まった時間にいなくなってまた帰ってくるため、他に男が出来たのではないかとずっと気にしています。
 これまでは、どうしても聞き出すことが出来なかった沢市でしたが、とうとう今日は、三味線の唄(歌詞)をきっかけに、どこに行っているのか、男が出来たのなら言ってほしいと切り出します。

 それを聞いて、お里は驚き、沢市の目が治るように壺坂の観世音へ三年越しでお参りをしていて、今日は満願の日であることを打ち明けます。

「エヽソリヤ胴欲な沢市様。いかに賤しい私ぢやとて、現在お前を振捨てゝ、ほかに男を持つやうな、そんな女子と思ふてか。ソリヤ聞こえませぬ聞こえませぬ/\はいな。モ父様や、母様に別れてから伯父様のお世話になり、お前と一緒に育てられ、三つ違ひの兄さんと、云ふて暮してゐるうちに、情けなやこなさんは、生れもつかぬ疱瘡で、眼かいの見えぬその上に、貧苦にせまれどなんのその、一旦殿御の沢市様。たとへ火の中水の底、未来までも夫婦ぢやと、(思ふばかりかコレ申しお前のお目をなおさんと)この壺坂の観音様へ、明けの七つの鐘を聞き、そつと抜け出でたヾ一人、山路いとはず三年越し。せつなる願ひに御利生のないとはいかなる報ひぞや。観音様も聞こえぬと、今も今とて恨んでゐた、わしの心も知らずして、ほかに男があるやうに、今のお前の一言が、私は腹が立つはいの」

 これほどまでに思ってくれているお里の気持ちを疑った心の卑しさを沢市は深く詫び、お里と一緒に壷坂観音にお参りに出かけることになります。

 二人は巡礼歌を歌いながら山道を登り壷坂観音に向かいます。寺に到着すると沢市は、三日間の断食祈願をしようと言い出し、お里に家まで必要なものを取りに帰らせます。
 一人になった古市は、今までのお里の介護に感謝を述べ、自分さえいなければ幸せになれるはずと、杖を崖につきたて、谷に身を投げます。

 嫌な予感がしながら戻ってきたお里は、暗闇の中、崖に刺さった杖を見つけ、古市が身を投げたことを知ります。杖がなければあの世で不便であろうという一心で、お里は古市の後を追って谷へと身を投げます。

 どれだけ時間がたったのか、そこに観音様が現れ、お里の信仰の深さ、貞節を褒め、二人の夫婦愛の絆から古市の目を開かせると告げます。

 息を吹き返した二人は目を覚まし、傷ひとつない上に沢市の目が見えることに、観音様のおかげと感謝するのでした。

 う~ん、、正に浪花節だよぉ~、、くさいけど…ええ話やなぁ~♪♪